2008年12月09日

近代日本の万能人・榎本武揚

近代日本の万能人・榎本武揚.jpg先端の科学知識広大な世界観を兼ね備え、世界に通用する稀有な官僚として外交・内政の最前線で日本近代化に貢献しながら、幕末維新史において軽視されてきた男・榎本武揚について、その全体像を明らかにする書。

序 榎本武揚没百年を記念して
T 今、なぜ榎本武揚か ――その全体像
座談会 今、なぜ榎本武揚か
 問題提起
 「瘠我慢の説」の誤解
 一徹な技術者魂の快男児
 知性と地政を押さえる
 空理空論を好まないプラグマティズム
 特別講演
 グローカリズムの実践者――360度方位に対応できる存在
 「瘠我慢の説」に対する反論――権謀術策を用いず自ら信ずる処を行く
 コラム
 江戸っ子たちのヒーロー ――新聞が報じた榎本武揚

U 外交
 地球一丸化時代に生きる ――開国国際法
 初めて日本を「対等な交渉者」に――樺太千島交換条約の舞台裏
 「恐露病」の克服――『シベリア日記』の目的と評価
 太平洋を越えた情熱――メキシコに日系移住の道を拓く
 コラム
 オランダ留学時代 ――軍事科学と殖産興業
 蘭学から洋学へ ――イギリス旅行が示す学問基盤の変容
 英語・英学事始め ――大鳥圭介との出会いより

V 内政
 東京農大の産みの親――農業観と農業教育
 世界レベルの仕事をしたエンジニア
   ――殖産興業・産業立国構想
 雄弁に、そして寡黙にした北の大地
   ――箱館戦争と開拓使時代
 日本地質学界の先達
   ――学理と技芸の狭間で
 コラム
 共感・支持者がつないだ学びの場 ――電気学会榎本図書館
 石巻決戦の回避 ――豪商・毛利屋利兵衛の活躍
 隕石研究への貢献 ――流星刀記事」より

W 榎本武揚をめぐる人々
 プチャーチン(1803-1883)とポシエット(1819-1899)
   ――卓越した外交手腕支えた知日派
 カッテンディーケ(1816-1866)
   ――優れた品性と絶大な熱心さを評価
 堀利熙(1818-1860)――蝦夷地との縁結ぶ
 清水次郎長(1820-1893)――咎めを恐れず部下を弔った恩人
 勝海舟(1823-1899)
   ――胸襟開いて語り合った仲も維新後は疎遠に
 李鴻章(1823-1901)――「瀬戸際外交」を展開した好敵手
 中浜万次郎(1827-1898)――中浜塾が生涯の友と出会う場に
 西周(1829-1897)――近くにいるものの活躍の場異なる
 ポンペ(1829-1908)――化学の魅力教えた恩師
 松本良順(1832-1908)
   ――武揚の妻多津の叔父で、西欧式衛生の先駆者
 大鳥圭介(1833-1911)――徒に死ぬのはよそう、と降伏を主張
 福沢諭吉(1835-1901)――同時代を生き、それぞれの道で活躍
 ブリュネ(1838-1911)――蝦夷共和国を支援し共に戦う
 黒田清隆(1840-1900)――榎本を救い、榎本に支えられた男
 安藤太郎(1846-1924)――箱館で共に戦い、明治政府でも活躍
 林董(1850-1913)――五稜郭で仲間を見捨てなかった


榎本 武揚(天保7年8月25日(1836年10月5日) - 明治41年(1908年)10月26日)
江戸幕末〜明治期の武士・幕臣、政治家。海軍中将正二位勲一等子爵。徳川育英会育英黌農業科(東京農業大学の前身)の創設者でもある。
通称は釜次郎、号は梁川。名前は「えのもとぶよう」と有職読みされることもある。父は幕臣榎本武規(円兵衛)、妻は林洞海の娘で林研海の妹でもあるたつ。家紋は丸に梅鉢。
故国を忘れず新天地を拓く
全集 日本の歴史 第12巻
天保の子
暁の旅人
五稜郭
posted by 無門 at 18:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする