2009年01月14日

徳川慶喜 家庭・親族

徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ、よしひさ)は、江戸幕府第15代征夷大将軍(将軍在職:慶応2年12月5日(1867年1月10日) - 慶応3年12月9日(1868年1月3日))。御三卿・一橋徳川家の第9代当主。唯一、将軍としての執務を江戸城で行なわなかったほか、大政奉還や新政府軍への江戸城無血開城などを行なった江戸幕府最後の将軍。内大臣。従一位勲一等公爵。貴族院議員。
「慶喜」は、「よしのぶ 」或いは通称として「けいき 」(有職読み)とも読む。将軍在職中、江戸幕府の公式な文書等には「よしひさ 」と読んだとの記録が残っている。本人によるアルファベット署名や英字新聞に「Yoshihisa 」の表記も残る。出身地である水戸では「よしのぶ」と呼ばれる事が多いが、余生を送った静岡では「けいき」と呼ばれる事が多い。

生前の慶喜を知る人によると、慶喜本人は「けいき様」と呼ばれるのを好んだらしく、弟・徳川昭武に当てた電報にも自分のことを「けいき」と名乗っている。慶喜の後を継いだ七男・慶久も慶喜と同様に周囲の人々から「けいきゅう様」と呼ばれていたといわれる。「けいき様」と「けいきさん」の2つの呼び方が確認でき、現代においても少なくなりつつあると思われるが「けいきさん」の呼び方が静岡に限らず各地で確認でき、どちらの場合でも“かなりの親しみ”を込めて使われる場合が多い。司馬遼太郎は「『けいき』と呼ぶ人は旧幕臣関係者の家系に多い」とするが、倒幕に動いた肥後藩関係者でも使用が確認できる事から、広範囲において潜在的に慕われていた、あるいは好意を寄せられていた可能性もある。

家庭・親族
安政2年12月3日、一条美賀と結婚(維新後に美賀子と改名。実父は菊亭(今出川)公久、養父は一条忠香、昭憲皇太后は義妹)。美賀との間には長女(瓊光院殿池水影現大童女)が安政5年7月16日誕生するも、7月20日に早世。以後、美賀との間に子は生まれず、明治になって誕生した10男11女は皆、二人の側室との間に儲けた子女である。公爵となり徳川慶喜家を継いだ七男・慶久や、勝海舟の婿養子となった十男・精、伏見宮博恭王妃となった九女・経子などがそれである。なお、慶久の子には、徳川慶光や高松宮宣仁親王妃となった喜久子らがいる。



正室:一条美賀(維新後に美賀子と改名)(今出川公久娘、一条忠香養女、天保6年7月19日〜明治27年7月9日)
側室:新村信(松平政隆娘、新村猛雄養女、明治38年2月8日死去)
長男:敬事(明治4年6月29日-明治5年5月22日)
長女:鏡子(明治20年3月23日結婚、徳川達孝夫人、明治6年6月2日-明治26年9月29日)
三女:鉄子(明治23年12月30日結婚、徳川達道夫人、明治8年10月27日-大正10年12月10日)
五男:池田仲博(明治23年2月25日池田輝知養子、明治10年8月28日-昭和23年1月1日)
六男:斉(明治11年8月17日-明治11年11月28日)
六女:良子(明治13年8月24日-明治13年9月29日)
九女:経子(明治30年1月9日結婚、伏見宮博恭王妃、明治15年9月23日-昭和14年8月18日)
七男:徳川慶久(明治17年9月2日-大正11年1月22日)
十一女:英子(明治44年4月29日結婚、徳川圀順夫人、明治20年3月22日-大正13年7月5日)
十男:勝精(明治32年1月20日勝海舟婿養子、明治21年8月23日-昭和7年7月10日)
側室:中根幸(中根芳三郎長女、大正4年12月29日死去)
次男:善事(明治4年9月8日-明治5年3月10日)
三男:琢磨(明治5年10月5日-明治6年7月5日)
四男:徳川厚(明治7年2月21日-昭和5年6月12日)
次女:金子(明治8年4月3日-明治8年7月22日)
四女:筆子(明治28年12月26日結婚、蜂須賀正韶夫人、明治9年7月17日-明治40年11月30日)
五女:脩子(明治11年8月17日-明治11年10月8日)
七女:浪子(明治28年12月7日結婚、松平斉夫人、明治13年9月17日-昭和29年1月13日)
八女:国子(明治34年5月7日結婚、大河内輝耕夫人、明治15年1月23日-昭和17年9月11日)
十女:糸子(明治39年5月19日結婚、四条隆愛夫人、明治16年9月18日-昭和28年10月11日)
死産:男子(明治17年8月22日死産)
八男:寧(明治18年9月22日-明治19年7月2日)
九男:徳川誠(明治20年10月31日-昭和43年11月11日)
死産:女子(明治24年6月2日死産)
妾:芳(新門辰五郎の娘)


岩倉使節団 世界一周の旅
posted by 無門 at 20:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする