外務省条約局長などを務めた元同省幹部が10日、毎日新聞の取材に対し、1960年の日米安保改定交渉の際に合意した核搭載艦船の日本寄港を認める密約本文が、外務省内に保管されていたことを明らかにした。寄港密約は60年1月6日に、当時の藤山愛一郎外相(岸信介内閣)とマッカーサー駐日大使が結んだもので、外務省の元担当幹部が密約管理の実態を詳細に証言したのは初めて。
この幹部は密約については、米側で公開された公文書と同じものとしたうえで、英文で藤山、マッカーサー両氏の署名もあったと証言した。日本文も添付されていたという。
63年4月4日に当時の大平正芳外相(池田勇人内閣)とライシャワー駐日大使が、米大使公邸で上記の密約本文を再確認し、大平外相が「持ち込みは核の搭載艦船の寄港・通過には適用されないことになる」と認めたことを示す日本側の会談記録も保管されていたという。
さらに60年の日米安保改定交渉に外務省アメリカ局安全保障課長(当時)としてかかわった東郷文彦氏(後に外務事務次官、駐米大使)が密約の解釈や交渉経過などについて詳細にまとめた手書きの記録も残っていたとしている。
その手書き記録は、当時の外務省の書式である2行書いては1行空ける方式で書かれ、青焼きコピーが繰り返されて見えにくくなっていたという。村田良平元外務事務次官の証言でわかった事務次官引き継ぎ用の日本語の文書も含まれている。
これらの文書は外務省条約局(現国際法局)とアメリカ局(現北米局)で保管していた。
この幹部は、北米局長、条約局長らの幹部はこれらの密約文書を把握していたと指摘。ただ、01年4月の情報公開法の施行に備えるため「当時の外務省幹部の指示で関連文書が破棄されたと聞いた」と証言している。毎日新聞
東郷 和彦(1945年1月10日 - )元外務省欧亜局長・元駐オランダ大使。祖父の東郷茂徳、父の東郷文彦とともに親子三代で外交官を務めた。元ワシントンポスト記者の東郷茂彦は双子の兄にあたる。
外務省に強い影響力のあった鈴木宗男との深いパイプを持っていた。このため、田中真紀子外相時代に駐オランダ大使着任を一時保留され、さらに鈴木が失脚した2002年に駐オランダ大使から更迭の末、依願の形式での退職を拒否し免職処分を受けることとなる。また「ロシアンスクール」に属していた為、一期上の次官争いのライバルであった竹内行夫(のち野上義二のあとに次官就任)ら「アメリカンスクール」との確執も取りざたされた。

