上杉家・景勝の家臣でありながら、
豊臣秀吉、徳川家康らを魅了し、
また、最も恐れられた男
その名は、直江兼続。
出産を控えたお船は与板城に戻っていた。そこへ惣右衛門と妻・よしが見舞いに来る。
一方、直江兼続は家老職で多忙であった。そんな折、京の実頼から書状が届く。それは勢力を拡大しつつある伊達を討て、という豊臣秀吉の命だった。兼続は伊達政宗に会って説き伏せることにし、景勝も了承する。
政宗と対面した兼続は、戦をやめるよう説得するが政宗は取り合わない。そんな政宗の姿に、兼続は亡き信長の影を見る。力では人の心はつかめないと諭し、兼続は政宗の考えを古いと断じる。政宗は激高し、兼続に切りかかるが、そこに政宗の妻・愛姫が現れ、政宗は刀をおさめる。
天正17年(1589年)6月、兼続は内乱の続く佐渡へ渡る。兼続の必死の説得に河原田城主・本間高統も折れ、佐渡は平定される。そのころ、お船が女の子を出産、兼続も書状で知らされる。喜ぶ兼続のもとに、伊達が会津の芦名家を滅ぼしたとの知らせが入る。兼続は急ぎ春日山に戻り、越後の守りを固める。
伊達への対策が一段落し兼続はようやく与板城を訪れる。娘と対面する兼続の目に涙が光る。
折から、北条が真田領に侵攻し、秀吉は石田三成に北条攻めを下知する。

